今年4月10日の営業を最後に、野毛のジャズ喫茶「ちぐさ」が建て替え工事に入りました。ちぐさは、来年2023年に創業90年を迎える、国内で営業する最古のジャズ喫茶です。2007年に現在の位置に移転されたそうで、今回のリニューアルは、現在と同じ場所での建て替えとなります。
そして今回の主役は、その「ちぐさ」誕生と同じ1933年にお生まれになった中牟礼貞則さんです。ご存じない方には俄かには信じられないと思いますが、89歳にして現役のギタリスト。日々、最前線ミュージシャンと共演を重ねられ、いまもなお進化を重ねていらっしゃいます。
私にとっての中牟礼さんは、ジャズギターを学び始めた頃、当時、指導してもらっていた山田忍さんから「枯葉」の音源を聴かさせてもらったのが最初の出会い。独特の間(ま)をもった中牟礼さんの演奏を聴き、それまで抱いていたジャズギターのイメージが拡張されたことを覚えています。
まさに日本のジャズギター界を牽引されてこられたレジェンドです。現代と比較して圧倒的に情報の限られた時代から、ご自身を磨き続け、いまだ探求者でいらっしゃる。今回の取材を通じて、そんな中牟礼さんのギター道について、垣間見ることが出来たら本望です。
◼️コメントを頂いた豪華なギタリストの皆さま
今回は中牟礼さんご自身への質問に加え、2022年4月6日に野毛ちぐさで中牟礼さんとご一緒された、高内HARU春彦さん、Hiro Yamanakaさん、浅利史花さんに「中牟礼貞則さんらしさ」についてお聞きしました。
◼️中牟礼さん「リハモードで本番に臨みたくない」
野毛ちぐさのライブ直前、中牟礼さんとお話をしていたら、「僕はライブ前にリハはしません。リハをやってライブに臨むと、リハのモードのまま本番に入ってしまう。ジャズは即興の音楽。緊張感を大切にしたいんです」と教えてくれました。
そして言葉だけでは、とても中牟礼さんらしさを伝えきれないと思っていたら、今回、中牟礼さんのステージポートレイトを継続撮影しているフォトグラファー平口紀生(papa Hiraguti pictures)さんと、野毛ちぐさセッションの運営サポートをされていたJinaさんより、素材写真をお借りすることができました(平口様・Jina様、ありがとうございます)。写真を通じて、中牟礼さんが纏うオーラまでを伝えることができたら嬉しいです。
◼️野毛ちぐさでのセッションを終えて如何でしたか?
○ 浅利史花さん
「今回のライブは実は2017年にやったライブの再演で、『ちぐさがリニューアルの為しばらく休業するのでその前にまたあのメンバーで』と、ヒロ・ヤマナカさんからご連絡いただき実現したものでした。またあの豪華メンバーで再演できるとは思ってもみなかったので、とても嬉しかったです。」
「大先輩方に囲まれての演奏は緊張もしますが学ぶことも多く、今回も素晴らしい経験をさせていただきました。前回(2017年)の時とはまた違った景色が見えたりもして楽しかったです。」
「ちぐさは改装してリニューアルオープンするとのことで、今から楽しみです。これからも音楽への愛と共にお店の歴史が続くといいなと思います。」
○ Hiro Yamanakaさん
「5年前も今回も、発起人であり友人の寺本達也氏とJinaさんとのタッグで、僕の個人事務所”a Taste of JAZZ”主催で開催することができて、光栄であり、皆さんの笑顔が見られて最高に嬉しいです。中牟礼先生は僕にとっても特別な存在の憧れのギタリストです。」
「5年前は11月になってから、あることに気付いて寺本さんの尽力でギリギリの年内開催ができました。あることと言うのは、その年の干支が酉で、中牟礼先生も浅利史花さんも僕も酉年生まれだと言うことです。しかも僕と浅利さんの年齢を足すと、ちょうど中牟礼先生の年齢になるという巡り合わせ。開催場所はその時点でジャズ喫茶ちぐさに決めていました。ちぐさも酉年生まれですから。そこに高内HARU春彦師(僕の先生)が観に来られるとなれば、手ぶらで来て頂くわけにはまいりませんね(笑)。日本のジャズシーンを支えてこられた中牟礼先生と、アメリカでデビューし35年以上活動されているHARUさんに、日米のジャズシーンの違いなどをトークショーで披露していただいたのです。」
「一応、主催者として酉年にちなんだ選曲をして譜面も揃えていたのですが、その目論見は中牟礼先生を前にした瞬間にもろくも崩れ去りました! 前回も今回も感じたことは、素晴らしいギタリストが集まると、全くのインプロヴィゼイションで4本のギターが鳴っても、瞬間瞬間に各自の役割を変えながら、1音もぶつからないと言う奇跡が起きることで、そこが快感でもあるんです。弾いているときは必死ですけど!」
○ 高内HARU春彦さん
「前回このメンバーでセッションしてから5年も経つと、当日にヤマナカさんから聞いてびっくりしました。あっという間の5年です。5年前、浅利さんとヤマナカさんと先生と酉年御三家で1st stageはトークショーで、2ndはセッションするというGIGがあるということで、予約をヤマナカさんにお願いしたらギターを持ってきてくださいとの事で、参加しました。私は酉年ではありませんが….」
「今回は最初から演奏、という事でお誘い頂きました。浅利さんは日常的に先生と演奏されていますが、僕にはレギュラーベースでの先生とのGIGはあまり無いので、先生との演奏には感慨深いものがあります。」
「ちぐさがどのような形で生まれ変わるのか、聞いていないのでリニューアルが楽しみです。次の100年の歴史が開幕するのですね」
○ 中牟礼貞則さん
「久しぶりの顔ぶれでしたが、僕以外の3人とも、それぞれギターらしい演奏という印象が強く残りましたね。僕はギター弾いてるけれど、ギターらしくないんですよ。彼らは皆ギターの特性に魅了されて弾いておられる。僕はたまたまギターを弾いている感じです。」
「自分をもっているミュージシャンと演るのは楽しいですよ。その点、今回ご一緒した人たちは皆な自分を持ってますね。」
◼️ 皆さんから見て「中牟礼さんらしい」と感じるところは?
○ 浅利史花さん
「1音聞いただけで『あ、中牟礼さんだ』と分かるあの音色が大好きで、いい意味で、すごく複雑な音だなと思うんです。重さとか太さはもちろん、『尖ったかんじと暖かいかんじ』みたいな相反するものを同時に感じたりもします。まさに唯一無二のサウンドです。」
「中牟礼さんは89歳になられた今でもギターとアンプをひとりで抱えて、現場にいらっしゃいます。以前帰り道が一緒だった時も、空いてる電車なのにずっと立っていました。こちらとしては少し心配だったりもするのですが(笑)、『筋力が衰えないように、自分のためにやっている』とおっしゃってました。常に音楽を続けていくこと、ギターを弾き続けることを考えている中牟礼さん、本当にかっこいいです。」
○ Hiro Yamanakaさん
「今から45年前、大学進学で横浜市に出てきた僕が、最初期に観たミュージシャンの1人で、音の小ささに驚きました(笑)。でも生音が突き刺さるように聴こえてくるんです。その後、お会いしてお話しする機会を重ねる中で、中牟礼さんが『己を探求し続ける姿勢』に感銘を受けました。」
「『僕はね、ギターのこと、何にも分からないの。習ったこともなく、誰かの真似をしたこともない。自己流ですよ』と笑ってる姿が爽快。いつもギターを背負って、アンプをキャリーで転がしての電車移動。誰かが手伝おうとすると『ぼくの健康を奪うんですか?』と仰る。長く健康体で自分の音楽を探求しようとしている姿なのです。」
○ 高内HARU春彦さん
「先生はストロークが本当にストロングなんです。想った音に魂を込めて弾くことの出来る数少ないプレイヤーです。ギターをこれでもかっ!と鳴らします。でも音質はWARMで太いんです。(強く弾いてバリバリの音だったら正直言ってこれは誰にでも出せます。)」
「先生は練習の結果としての演奏は一切ありません。最近のシーンでは『今日この頃の演奏は発表会みたいだな〜』なんて事をたくさん感じる機会が多くあります。先生はその場で物を創る事だけをします。それがJAZZなんだと思います。」
「演奏前の打ち合わせで、僕とDUOのコーナーでは何をやろうか?とお話をしていた時に『HARUさん、譜面持ってるでしょ?いつもやってるような曲ではなくて違うのがやりたいから見せてくれる?その中から選ぶから。』と仰るので僕の譜面を全部お渡ししました。そうしたら『これはほとんどやった事がないな、これにしよう!』と選ばれた曲は『The End of Love Affair』でした。じゃ、バラードで、とケーデンスを変えるお話をして、さあ本番のセカンドセットは先生のソロギターです。で、始まったのが『The End of Love Affair』ソロでした。汗…」
「やった事ない曲をいきなり僕の譜面を見ながら初見でSOLOギターって….凄過ぎ!!で、僕とのDUOは急遽Stella by Starlightに何事もなかったの如く変更になりました(笑)。Love Affair譜面は演奏後に返して頂きました。もともとJAZZは何が起こるのかわからないもんです。」
◼️中牟礼さんご自身は、どんなギターを弾きたいと思ってこられたのでしょう?
「僕は、ギターを弾いてるけれど、ギターチックではなく、ピアノチックな演奏を、ずっと何十年も弾きたいと思っています。たまたまギターを弾いているだけの話。普段もあまりギターの演奏は聴かないですね。」
「ギターが演奏されている、ジャズの録音がいっぱい残されています。若い人たちは、これから色々な音楽をやっていかれると思いますが、そうした残された演奏の記録を聴くことが必要ではないでしょうか。」
「誰よりも早く頭角を現すという意味では、あるひとつのことを中心にやっていくという手もあるのですが、最終的には、そういうやり方では絶対に行き詰まりますからね。やはり沢山の記録を聴くことが大切だと思いますよ。」
◼️プロフィール(文中敬称略)
○ 中牟礼貞則さん
1933年3月15日生まれ。鹿児島県出水市出身。18歳で上京し青山学院大学へ進学、1952年、在学中にプロデビュー(19歳)、米軍キャンプでの演奏やスタジオミュージシャンとして活動。穐吉敏子や渡辺貞夫らを育てたとされる銀座ファンタジアでのステージにも参加する。1958年スイング・ジャーナル批評家選出オールスターズに選ばれレコーディングが残されている。高柳昌行(g)とは一時同居するなど切磋琢磨を重ねた。
当時キャバレーで活動していたミュージシャン達が集い、高柳昌行が中心となって日夜実験的な演奏が繰り広げられた新世紀ジャズ研究所発表会に、金井英人・富樫雅彦・菊地雅章・山下洋輔・稲場国光・日野皓正らとともに中牟礼も参画。1963年には「銀巴里セッション」として収録が残されている。
1965年、渡辺貞夫のボサノヴァ・バンドに参加。1967年には初のリーダーアルバム「Guitar Samba」(2007年にCD化再発売)を発表した。ヤマハのジャズ・スクールでは、渡辺貞夫の紹介で渡辺香津美を指導。1979年にはバーニー・ケッセルと日本国内ツアーを実施した。
1970年代に入る頃からリーダー活動が活発化。1979年「Live at Shiny Stockings」1999年「Inter Cross」、2001年「Remembrance」、2020年「Detour Ahead ; Live at Airgin」を発売している。多くのジャズメンのアルバムにも参加、多数の作品を残している。2016年には中牟礼を慕う岡安芳明(g) の依頼でデュオアルバム「Guitarist」を発表。2021年「中牟礼貞則/孤高のジャズ・インプロヴァイザーの長き旅路」出版。
2012年、村上ポンタ秀一・金澤英明の呼び掛けで、豪華メンバー共演による「We Love MUREsan」がリリース。2022年には「We Love MUREsan again」のリリースが予定されている(企画・制作:Studio TLive Records、8/10発売)。
今年2022年で演奏生活70年を迎え、現在も全国で精力的な活動をおこなっている。http://www.aoki2.com/zest/zest.html
○ 高内HARU春彦さん
作曲家、ギタリスト。54’宇都宮市生まれ。18歳から20歳の時に渡辺香津美氏に師事。東京造形大学絵画科卒業後’80年に渡米, NYで活動を開始。’84年NYでの自己のバンド「HIKO BAND」でアルバムデビュー。90年にEMIから『銀河宇宙オデッセイ』を日本と全欧でリリース。92年に米国ブルーノート/マンハッタンレーベルから全米デビュー。その後キングレコード、ポリスター等を経て現在に至る。ウェインショーター、スタンリータレンタイン、ポール・モチアン、ジャコ・パストリアス、ジョージョーンズjr.、デビッド・マシューズ・オーケストラ等多くのバンドを経験。現在は自己のバンドを中心に東京、NY、ホノルルなどで活動中。最新作CDは全編アコースティックギターによる「HARUACO」(Linus)。(i-Tune Store, Amazonから購入できます。)今夏新作アルバム発売予定。作曲活動では、大英博物館館内環境音楽、NHK「黒い太陽」(カンヌ受賞作)、「山河憧憬」「スティーブン・ホーキング」等多数、著作は「アドバンスト・ジャズギター」、「ジャズギター・コンセプト」がシンコーミュージックから、最近作ではジャズ史エッセイ「ボイス・オブ・ブルー」が好評発売中。
○ Hiro Yamanakaさん
和歌山県日高郡美浜町出身、横浜市在住。10歳からクラシック・ギターを始め、その後ザ・ヴェンチャーズを愛す。神奈川大学進学後、渡辺香津美氏に師事。卒業後に国際物流企業の人事部門に約23年間勤務するが、その間に鈴木勲氏に師事。2003年9月に退職後に高内HARU春彦に師事する。2005年5月に個人事務所“a Taste of JAZZ”を設立し、ギタリスト並びに音楽ジャーナリスト活動を開始し、専門誌やライナーノーツ等1,300本以上を執筆。2006年よりジャズ・オルガンの奇才KANKAWAグループの一員となり『Reminiscence Miles』に全面参加(07年)。2010年には自身のリーダー作『Sorry I’m Late』を、2015年にはRGB名義で『Love Knot』を、2020年にはライヴ盤『LIVE』をリリース。各地方の人脈を活かしたツアーを活動の中心としている。愛器はMarchione GuitarsとYamaoka Guitars。
○ 浅利史花さん
福島県福島市出身。5歳頃からクラシックピアノを習う。中学生の時に、姉と兄の影響でロックに興味を持つ。高校生活ではバンドを組むつもりだったが、 進学した高校に軽音部がなかったため、仕方なくジャズ研究部に入部。 そこでジャズと出会い、市内のジャズ喫茶『ミンガス』で聴いたグラントグリーンやジムホールの 演奏をきっかけにはまっていく。2012年に大学進学に伴い上京。在学時より演奏活動を始める。2015年にはギブソンジャズギターコンテスト決勝進出する。2020年11月に1stアルバム「Introducin’」をリリース。ジャズギターの王道を行くスインギーなスタイルで、同世代のみならず数々のベテランミュージシャンとも共演を重ねている。
◼️最後に(編集者から)
今回の取材で、初めて中牟礼さんに、ご挨拶させていただきました。貴重な機会を作ってくださったHiro Yamanakaさん、寺本達也さん。この場をお借りして御礼申し上げます。またお忙しいなかインタビューにご協力頂きました、中牟礼貞則さん、高内HARU春彦さん、Hiro Yamanakaさん、浅利史花さん、重ね重ねありがとうございました。
中牟礼さんは、インタビューでも穏やかにお話してくださるのですが、眼光は鋭く、言葉の端々にジャズに対する強い意志がヒシヒシと伝わってきます。ギターの演奏には、お人柄が強く反映されるものだとつくづく感じたインタビューでした。
連載「個性を磨く」第2弾はココまで。お読み頂き、ありがとうございました。
(付記)
野毛ちぐさは2023年に、博物館とライブハウスが融合した「ジャズミュージアム・ちぐさ」として再スタートするそうです。
ちぐさに抱くイメージからすると、かなり大胆なデザイン。でもジャズは進化し続けるものというメッセージは、今回ご紹介させていただいた中牟礼さんの意志にも共通するところがあります。新しいちぐさと野毛界隈の活性化に期待したいと思います。
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