京都とジャズ❷創業51年のジャズ喫茶-2

前編に引き続き、京都で創業51年のジャズ喫茶、YAMATOYA 店主・熊代忠文さん(78)と妻・東洋子さん(76)にお話をお伺いします。

YAMATOYA
 左京区熊野神社交差点東入ル2筋目下ル
 https://www.jazz-yamatoya.com/index.html/

私(編集者)は、学生時代の4年間、珈琲専門店で珈琲を立てるアルバイトしていたこともあって、今でも毎日、自宅で珈琲を淹れます。コーヒーメーカーでなく、面倒かけてペーパードリップすることで、気分を切り替える儀式みたいな効果も期待して。在宅ワーク中心になって、益々、その頻度が増えました。

今回YAMATOYAさんにお伺いしてみて、ジャズ喫茶にとって大切なことは、ジャズの音源自体もさることながら、美味しい珈琲とともに、じっくり音楽を聴ける環境なんだと、当たり前のことを再認識しました。

さて後編は、熊代さんご夫妻の懐かしいエピソードをお聞きします。熊代さん、宜しくお願いします。

◼️チック・コリアとの出会い

チック・コリア(Chick Corea、pf、1941-2021)が京都に来たときのお話をしますね。

キース・ジャレット(Keith Jarrett、1945-)などと一緒にやっているゲイリー・ピーコック(Gary Peacock、1935-2020)というベーシストが、京都で、鍼と陰陽の勉強をしていた時期があったんです。米国に帰ることになって、京都でも関西でもライブをやったことないからやりましょう、となって。

ゲイリーに、誰と演りたいかを聞いて、菊地雅章(pf、1939-2015)と村上寛(ds.1948-)のトリオを組むことになったんです。そこで菊地雅章のマネージャーをやっている鯉沼利成社長(Live Under the SkyやLIVE AT TOKYO MUSIC JOYを立ち上げた方)という面白い方と知り合うことになって。その一件で、鯉沼さんが私のことを信用してくださり、以降、何かと可愛がってくださったんです。

で、チック・コリアの来日に際して「京都に来ることになったら、熊ちゃん、面倒みてくれやー 熊ちゃんとこ連れてたら、なんとかしてくれるし、飯も食わしてくれるし」と連絡くれたんです(笑)。

◼️え?このピアノで弾くの??

京都というところは、ツアーの最中に、ちょっと休ませるに良いところなんですね。チック・コリア、キース・ジャレット、ケニー・ドリュー(Kenneth Drew、pf.1928-1993)も、この店にきて、そこのピアノ(YAMATOYA店内)を弾いてくれました。

皆んな、最初にピアノを見ると「え?これで演んの?」って反応するんです(笑)。でも一応、当時ヤマハで一番高かったピアノで、高さもあって、小さなアップライトとは全然違うから、弾いたら皆んな満足してくれてね。

チックは1ヶ月半くらい京都にいたから、家も紹介して全部面倒みて。クリスマスには息子と娘が来るからということで、奥さんのゲイル・モラン(Gayle Moran、1943-2021)とともに、ここ(YAMATOYA店内)で、常連のお客さんだけ呼んで、ライブをしてもらいました。チックと娘さんの連弾に、息子さんはパーカッション、奥さんが歌って。

ギャラは要らない、と言うから、お客さんから飲み放題¥3,000を集めて、チックファミリーに皆んなからのプレゼントをあげたんです。そのときの秘蔵録音もあって、外には出せないんだけど、店ではたまにかけたりしています。

◼️チック・コリアと年越しラーメン

鯉沼さん(前出)から「アメリカ人は、味覚がそんなに鋭くないから」と聞いてて(笑)。オリバー・ネルソン( Oliver Edward Nelson, 1932-1975)とクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones、1933- )をツアーで連れているときに、昔は食堂車があったから、ハンバーグをご馳走したら「すごい美味しい!」と喜ばれたんだ、と。

それでチックが京都に来たときに、京大の直ぐ近くにある串八という居酒屋に連れて行ったら、もの凄く喜んでくれて。チックと私は同い年で、仲良くしてくれました。

(東洋子さん)大晦日は除夜の鐘を突きにいって、日本人は年越しそばを食べるんだと言って、麺なら同じだろうと、ラーメンを食べに行って。「今まで食べたラーメンの中で一番美味しい」と言ってましたよ。お正月は、当時はコンビニもなくて、お店も何処も開いてなくて、家に招いて手料理のお節を出したんです。喜んでくれました。

小曽根真が滋賀でデュオのライブを演るからと聞いて、お母さん(奥さんの東洋子さん)と聴きに行って、楽屋まで行ってね。家でお節料理を食べているときのものとか、渡してなかった写真をあげたら、また喜んでくれて。「奥さん(ゲイル・モラン)に見せるから」といって3人で写真も撮って。でも、それが実際にチックに会えた最期でしたね。

◼️京都にしか居酒屋がない訳ではない

東京のほうがエキサイティングな場所だとは思いますが、京都なら安くて楽しめるというのはあるでしょうね。

チックは銀閣寺のそばに住んでいましたが、近くに学生相手の居酒屋があって、そこに彼はよく行ってて「東京には、こういう店が無いだろう?」と言ってましたよ。居酒屋には天ぷらもあるし、おでんもあるし、と言ってね。

彼には「東京の人はチックを高い店に連れて行ってしまうから、行けてないだけで、東京には居酒屋もあるよ」って説明しましたけど(笑)。

彼は「銀閣寺」という曲を作っていて、先日の東京ジャズ(2019)でも演奏していたそうです。娘が聴きに行ってて「京都に僕は1ヶ月半くらい住んでたんだよ」という話をステージで語ってくれて。うちにTシャツがあったから、娘に持っていかせたら、楽屋で会ってくれてハグしてくれたそうです。

◼️ジャズを勉強しに東京に通う日々

ジャズを勉強するために、当時は、東京まで出掛けていって、色々なライブを聴きに行きました。情報を仕入れようと思って、イベントがあったら、必ず行くようにしていて。とにかく京都と東京の経営者では、レベルが違っていました。中平さん(前出)にしろ、野口くん(前出)にしろ。レベルというのは金持ちのレベルですね。

お店が儲かっているのもあるし、実家に余裕があるというのもあったと思います。中平さんは和歌山の山持ちの息子さんだし、野口くんは親父の2代目で吉祥寺のいい場所でずっとやっていたから。とにかく喋っているレベルが違ってたんです。

◼️渡辺貞夫さんの家で隠れんぼ

鯉沼さん(前出)には、すごく可愛がってもらって。鯉沼事務所には菊地雅章(sax.)と笠井紀美子(vo.1945-)しかいなかったんですが、渡辺貞夫さんが入ってきたんです。そこから貞夫さんとお付き合いが始まって。

そして僕が30歳前後の頃かな、カリフォルニアシャワーの時に、新宿の厚生年金まで聴きに行ったときの話なんですけどね。前の晩に東京のジャズ喫茶マスターたちと徹マンしてて、1人が大負けして止めるに止めれなくて、ライブ直前の夕方まで麻雀やったんです。

それで貞夫さんのライブ聴いて楽屋に挨拶に行ったら、貞夫さんの奥さんが「これから家で、皆んなで打ち上げのパーティやるから、おいでよ」と連れていかれて。

徹夜でフラフラだったので奥で寝てて、パーティが終わって皆んなが帰る雰囲気で目が覚めました。そしたら枕元に数珠とかお札とか、ご飯に箸挿して置いてあって。死んだように寝てたから、葬式ごっこで遊ばれた訳ですね。

で、玄関に見送りに行っているときに、押し入れに隠れて、布団被ってたんです。玄関から部屋に戻ってきたら、熊ちゃんがいない!と騒ぎになり。マンションの4階だし、窓も小さいから出られないし、何処に行ったんだ?となって。5分くらい隠れてたのかな。

それが貞夫さんの奥さんにとてもウケて「東京によく来るんだから、毎回、泊まりに来なさい」と言われて。「僕は東京に遊びに来ている訳ではなくて、色んな人と知り合うために来ているんです。なので夜遅くまでお付き合いがあるし、麻雀もするし。それはダメですよ」と断ったら「じゃあ鍵渡すよ」と言われて。

その頃、貞夫さんがポコという犬を飼っててね。朝ごろに貞夫さんの家に帰ると犬が吠えるので、犬に連れられてテレビ朝日のほうまで、朝の散歩に付き合って。それから帰って寝る、というパターンでしたね。暫くは東京に行ったときは、毎回ご厄介になってました。それから私が陶芸をやるようになったので、東京に行く回数も減って、泊まらなくなってしまいましたけどね。

◼️珈琲一杯で、開店から閉店まで

今みたいに気楽に聴ける状況じゃなかったんです。音楽を聴ける環境が他になかったからね。一番面白かったのは、11時の開店と同時に来て、閉店の夜11時まで、珈琲一杯で、スピーカーの一番前の席にずっと座っているお客さんがいて。

夕方になって、あまりに可哀そうだったから、サンドイッチと珈琲出して「頑張れよ」と声掛けたことがあって。そのことを常連に言ったら、その常連が5人くらい連れてきて、同じ事をやりました(笑)。あの頃、毎日くる人のなかには「ゴハン食べなくてもジャズ聴きに来てます」というひともいましたよ。

◼️お喋り、自習、パソコン、煙草。

お店のお客さんも、若い人は確実に増えてますね。本当にジャズが好きで来ているのか、店の雰囲気が好きで来ているのか、珈琲が美味しくて来ているのか、どれかは分からないけれど。

若い人の中には、お喋りに来る人もいます。メニューにも2時間程度で帰ってください、と書いてあるんだけど、以前には3時間も4時間も、ずっーと喋り放しの子たちがいて。その時は、この店は音楽を聴きにくる店だから、悪いけど、もう来ないでくれる?と、お願いしましたね。来ないでくれというのは、本当に申し訳ないことだし、それ1回で反省しましたけど。

時々、ここで色々広げて勉強する子がいたり、パソコン開いている子もいるけれど、それはちょっと違うな、と、本を読むのは構わないけど、それ以上のことはね。

最近の大きな出来事としとは、禁煙したんです。今年の8月頃だったかな。娘が店を継いでくれることになって、煙草の匂いが嫌だと言って。昔から、ジャズと煙草は繋がってました。2階は換気扇がひとつしかないから、厨房に煙が集まって。女の子が、夜に家に帰ってシャワー浴びたら、髪の毛が茶色になってた、とかね。

煙草の煙による、レコードやスピーカーへの影響はさほど無かったのですが、煙草のカバーはヤニで茶色になってましたね。全てレコードのカバーを取り替えたことがあって、その時の取り替えた枚数で、レコードの所蔵数が判明したんです。

◼️若者にレコードのお裾分け

最近、若い人でプレーヤーを買いましたという人が、少しずつ増えました。何処まで熱心かは分からないけれども。CDだとやっぱり物足りないし、レコードを買って聴きたいと。

その子たちには、店のレコードをあげてるんです。毎月10から20枚くらいのレコードを買いに、大阪のディスクユニオンまで行っているのですが、店には5000枚以上入らないから、あまりかけないレコードをお裾分けしてるんです。

◼️50歳の学生、五木寛之さん

五木寛之(1932-現在)さんも近所に住んでいて、ジャズが好きで、よく来て頂きました。ちょうど「蓮如(1995)」とか「親鸞(2010)」を書いていらっしゃるときで、龍谷大学に仏教史を学びに通ってらっしゃって(1981-1984)。学生証を見せながら「俺、いま学生なんだよ」てね。

◼️自分が心を込めて表現したい音楽を追求して

エレキのジャズと、アコースティックのジャズと、やっぱりジャズの場合はガンガン弾くのは少ないですよね。ジャンゴ・ラインハルトくらいから、ずっとレコードは置いてあるんですけどね。

(編集者註:ここでラインハルトのレコードが自然と流れる演出。質問の先を読んで選んでくださっている。。)

美空ひばりがジャズを歌う、というレコードを掛けて、松本隆さんが「俺、一番やりたかったのは、美空ひばりの詩を作ることだったんだよ」と喋ってらっしゃったことがあって。売れる音楽ではなく、自分が心を込めて表現したい音楽という意味でね。

(編集者註:明快な言葉は控えていらっしゃる様子でしたが、メッセージは伝わりました!)

◼️(帰り際に)お店が続いた本当の理由

平凡パンチの最初の京都特集があったときに、僕は麻雀に行ってて店にいなくて、彼女(奥さんの東洋子さん)がスピーカーの横で立っている写真が載ってね。凄く可愛く写っていて、それで客が増えたんです。京大生からラブレターをもらったりして。

ニューヨークタイムスにもお店が載ったことがあって、そのときも僕は店にいなくて彼女が写真入りで紹介されて。

何か大きな出番のときは彼女が出てくると。これが店が長く続いている、本当の理由です(笑)。

◼️最後に(編集者から)

YAMATOYAさんの訪問、楽しかったなあ。熊代忠文さま・東洋子さま、取材のご協力ありがとうございました。珈琲も美味しく、素敵な選曲によるジャズを聴きながらのお話、面白すぎて、あっという間の1時間でした。

取材を終えて、ジャズ喫茶の楽しみ方を改めて考えてみました。

1)美味しい珈琲とジャズをいただき、豊かな時間を過ごす

心地よくジャズを聴ける環境と、シミジミと美味いなあと思える珈琲。

うちにも大きなJBLの大きめのスピーカーを置いてるのですが、近所や家族を気遣って、本来の音量を出せません。豊かな環境で、ジャズを聴く時間と空間を味わえるというのが、ジャズ喫茶への最も大きな期待値です。

器や什器の選び方も大切。暗すぎず、明るすぎずの照明やインテリアも。気分に合わせて豆や炒り方を変えてみるのも良し。ジャズを聴ける贅沢な時間を過ごせるお店、近くにできないかしら。

2)あえて、お店の選曲に歩み寄ってみる

毎日毎日、何年も何年も、ジャズを聴いてこられた方による選曲。

他のお客さんに迷惑をかけない範囲で、ジャケットを見せてもらったり、音源のことなど聞いたり。話かけにくい場合は、自ら調べてみるだけでも。

何事もそうだけど、あえて勧められるものを食べてみる。とりあえずやってみるの精神。情報が溢れている環境で、自分の領域や可能性を予期せぬ方向に拡張してくれる、ひとつの選択肢かなと思います。

相性もあるから、合わなければそれまで。上手くいけば、勉強にもなるし、通うモチベーションにもなるし、何より居心地が格段に良くなるはず。

・・・

暖かくなったら、またYAMATOYAさんにお伺いしたいなあ。熊代様、取材ご協力ありがとうございました。

【前編】https://jazzguitarnote.info/2022/01/15/kyoto-2-yamatoya-1/

【ご案内】twitterにて記事の新着をお知らせしています。https://twitter.com/jazzguitarnote

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