高校生のとき、しばし京都の大学を目指していた時期がありました。大学での音楽活動に夢馳せながら、独り京都に足を運んだりもして。その後、現実を知るにつれ、希望校には入れないことが分かり断念。結局、首都圏にある大学に入り、そのまま京都には片想いの念だけ残る形になりました。
「京都とジャズ」連載の第4弾、いよいよ連載の最終回になります。若い頃に憧れた京都。その京都の音楽事情について教えてくださる方を探していて、辿り着いたのが、今回お訪ねしたKyoto Music Channel(以下KMC)さんです。HPから滲み出る愛や気合いを感じて、正面からドアノックさせていただきました。
Kyoto Music Channel(KMC) https://www.kyotomusicchannel.com/
KMCさんは、ジャズに限らず、生演奏にこだわり、京都の音楽シーン全体の繋がりづくりを目指している団体です。お話をお聞きしたのは、代表を務める東條やすこさん。ご自身がジャズのボーカルもされていて、想像通りのアクティブで素敵な方でした。

取材場所は、東條さんのご手配で、先斗町にあるHello Dollyさん。席の窓から夜の鴨川が眺められる最高の環境。やっぱり京都、素敵です。ありがとうございます。


Hello Dolly
中京区先斗町通四条上ル 200m 鴨川側 1階
https://hello-dolly.webnode.jp/
では、東條さん、インタビュー宜しくお願いします。
◼️生演奏を身近に感じてもらいたい
私たちが大切にしているのは生演奏です。生で音楽を聴くという行為を身近に感じてもらいたいんです。ジャンルは人それぞれで良いのですが、レコードやCD、スピーカーといったものを介した音楽だけではなく、実際に目の前で演奏される音楽による響きや振動、即興性といったものを体感して楽しんでもらうことを大切にしています。
(参考)Kyoto Music Channelのヴィジョン・ミッション
(1)ヴィジョン
・ミッションを軸にした活動で聴衆、演者、場所の三位一体となった京都の音楽シーン全体の繋がりを作っていきたい
・音楽のあふれる街 京都を世界に発信する
(2)ミッション
・音楽、特に「生演奏」を身近に広く親しんでもらうとともに、社会的理解を深めるための活動を展開する
・オーディエンスのみならず演奏者にも自由な表現のための演奏環境を提供することに努める
・京都において音楽に親しめる場所を広く紹介する
◼️ピアノを習いたくても叶わなかった、子どもの頃の記憶
いまのKMCの活動には、自分の育った環境が影響している気がします。小さい頃から音楽が好きだったのですが、家庭の事情でピアノを習わせてもらえなくて。大人になってやろうと思っていたのですが、小さな頃からやってないと、音楽は出来ないという現実を知り、諦めちゃったんです。
それで23-24歳の頃に、自分の人生をどうしようと考えるタイミングがありました。その時に「遅いかもしれないけれど、自分の人生だから」と思い立ち、自分の稼いだお金で音楽を習い始めました。
そんな経験もあって、私たちのワークショップやイベントでは、中高校生以下は可能な限り無料にしています。どんな環境の人でも来て欲しい、という願いを込めてね。
◼️ジャンルを越えた架け橋に
最初にやったイベントはワールドミュージックで、民族楽器と即興するという内容でした。2回目は生で創るアンビエントミュージック。フレットレスベースの織原良次さんの「透明な家具」というプロジェクトで、ルーパーなどの機材を使いその空間や時々の雰囲気や人に寄り添い、即興で音作りをしていく、という企画です。
コロナの影響で中断していますが、コンスタントに開催していたのはニューヨークからツアーで来日するジャズミュージシャンのワークショップ。Fabian Almazan Trio、Omer Avital、Ben Wendelなどの、言わばグループレッスンですね。2019年からインターナショナルジャズデイにも参画して毎年イベントを開催しています。昨年は「リズムの世界」と題しリズムを知って学び奏でる企画でした。

コロナ禍の影響でライブ配信になった企画では、広瀬未来(みき)(tp.)・渡辺翔太(pf.) ・橋本現輝(げんき)(ds.)のトリオ、篠崎雅史(ts.)・荒玉哲郎(b.)・棟允嗣(ds.)のトリオと学生バンドを招き、ライブとワークショップを実施しました。私たちスタッフ、出演者、会場と全員にとって達成感のあるイベントでした。その温度感が画面越しにでも観客の皆様に伝わっていれば嬉しいです。

特にジャズは生演奏の要素が強く、また私自身がジャズ畑にいるので、ジャズ系の企画が多いのですが、団体自体は、ジャンルを限定せず活動をしています。
◼️聴衆、演者、場所を繋げる
ジャズにしてもクラシックにしても、演奏を聴きに行くのに、ちょっと着飾ざったり、構えたりしますよね。それはそれで楽しいのですが、働きながら、家の用事を済ませながらだと、それが面倒で足枷になっていたりしませんか。
海外に行くと、日本との文化の違いを体験します。ぶらっと出かけた先で10ドルくらいでクラシックが聴けたり、凄く上手いバイオリニストがストリートしていたり。でも自国に帰ってくると、そういった、気楽に生演奏が聴ける機会が極端に少ないことを実感し、寂しさを覚えました。
私たちは、もっと気楽に、もっと日常的に、「食事の後に、1時間ほど音楽でも聴きに行こうか」という気持ちを持った人たちを、増やしてゆきたいんです。
◼️何故、楽器を習った子ども達が、生演奏を楽しむ大人に繋がっていかないのか?
日本は楽器を教わる人が、とても多い国なんです。経済的に恵まれていることもあるし、小さい頃からピアノを習える仕組みもあります。そんな国は、世界中を見渡しても、そう多くはないんです。でもどうして、楽器演奏を止めてしまったり、生演奏に馴染みが無いということになってしまうのか。すごく不思議です。
子どもの頃、楽器を演っていたのなら、大人になって「この週末は演奏を聴きに行こうか」なんて考える大人になっても良いはず、と思いませんか?
私たちは、その繋がっていない部分を補いたいんです。生演奏の面白みを知れば、聴きに行くということが、もっと身近になるはずと信じて。
日本人は、自分独りで楽しむという指向が弱いのかもしれませんね。「行ったことないから」「知らない場所だから」「独りだと行きづらいから」とか。他者との関係性への意識が強いのでしょうか。自分が楽しみたいから聴きに行く、そんな素直な気持ちを後押しする手立てについて、いつも考えています。
◼️初めて参加した、バリーハリス主宰によるワークショップ
先日、亡くなってしまいましたが、バリーハリス(pf.)がNYで行っているワークショップに参加したことがあります。参加費も確か無料だったので、NPOのような組織が支援していたのかもしれません。
会場には、お菓子と飲み物が置いてあって、ピアノ・ベース・ドラムがあって、椅子が並んでいました。バリーハリスに指導してもらえると思い、歌も練習して、かなり身構えて行ったんですけど、行ってみたら、歌を歌ったこともないようなお姉ちゃんもいたりして、参加者も千差万別、「こんなんでええの?」と腰抜かしてしまいました(笑)。
曲も決まっている訳じゃなくて「皆んな、今日は何やる?これ知ってる?知らない人は歌詞をメモってくれる?」みたいな緩い感じで始まります。苦労して歌詞を書きとったら「やっぱりこれじゃなくて、違う曲にしよう」とか言って、参加者からブーイングが出たり。カッチリしていない、欧米人ならではのフランクな関係性がベースにあるのかもしれないですね。
曲が決まって、皆んなで合わせて練習したのちに、一人づつ、前に出てきて歌っていく流れが基本です。参加者はバリーのアドバイスが聞きたくて来ているのですが、褒め過ぎない、厳し過ぎない、丁度よいアドバイスを一人ひとり貰えるんです。
◼️世界の第一線で活躍するミュージシャンとの体験を持ち帰ってもらいたい
ワークショップという形態は、日本では未だ馴染みが薄いもの。元々、海外アーティストが来日した時に開催していたのですが、昨年はコロナで来日ツアー自体がありませんでした。そこで、国内ミュージシャンと若手ミュージシャンを呼んで、ライブのなかにワークショップの要素を取り入れる形で実施しました。
単なるライブでは、ミュージシャンの皆さんが行っているイベントと変わりません。ライブの合間に、若手ミュージシャンからの質問に、活躍中のミュージシャンが応えていくQ&Aコーナーを設け、アクティブに関われる場(ワークショップ)を組み込んだんです。
海外アーティストによるワークショップは、どなたでも参加できるようにしていますが、あくまでも、プロのレベルに連れ込むことを目指しています。その場の「ああ楽しいな」より、新しい学びや世界の第一線で活躍するミュージシャンの世界観や頭の中を覗く体験を持ち帰っていただきたいと願い、開催しています。固まってしまった感覚、閉ざしてしまった感覚をなぞるようなイベントにはしたくないなと。

◼️京都は新しいものを単純に享受しない傾向が強い?
京都では、3代続けて住まないと京都の人じゃない、と冗談まじりに言われます。私は京都に移り住んで3代目ですけど、京都のひとの前では「いやあ、まだ私なんて」と言っちゃいます。歴史や伝統を重んじる京都独特の価値観は面白いですね。
一方で、文化においては、どのジャンルにおいても、伝統的なスタイルの良い面と、新しいことを創造することの良い面と、両側面が重要であることは万人が共感していることと思います。
その2つの観点から見ると、京都の場合は、新しいものを単純に享受しない傾向が、少し強いかもしれません。東京をはじめ他の大都市は広くて数が多いので、多様な解釈や志向を包容しているのではないでしょうか。京都はあまりにコンパクト過ぎて、相対的に見て、新しい変化や多様性が簡単に受けいられないように見えてしまうところがあるんです。今以上の進化を求めていないというのかな。
実際には、京都って、多様な音楽や表現活動が活発に存在しています。私たちが将来像として描くのは、並列にいろんなジャンルの活動があって、生演奏が日常的にあるような場が存在している、また生演奏を聴きたい人たちがいる、そんな京都の姿です。
その先には、音楽以外の要素も取り込んでエコシステムを作れたらと思いますね。かつて、ニューヨークや欧州の様々な国々を、リュック背負って独りで回っていたのですが、音楽だけでなく多様な芸術文化、生活や食べ物、歴史などがリンクし、とても魅力的に感じられました。京都でも、そうした繋がりをもっと作ってゆきたいですね。
◼️ジャズスクール時代の思い出
京都には学生も多く、各大学にビッグバンドもあって、ミュージシャンは多いのではないでしょうか。ただ、その大学生たちが街中のセッションに来ることは殆どありません。セッションに参加するのは割とベテランな人たち。そこが繋がっていないのは残念ですね。
30年くらい前までは、学生と社会人の間に交流があったそうです。バブルの影響もあって、学生も羽振りが良かったからでしょうか。セッションも、若い人たちや、セミプロみたいな人たちが、熱く交流する場所だったそうです。それが時代とともにセッションに学生が来なくなってしまったとか。何が原因なんでしょうね。
私は23-24歳くらいの時に、藤ジャズスクールに入ってからの音楽活動スタートなので、学生時代の経験はないんです。そして藤ジャズスクールはいたって昭和な学校で。世界的にシステマチックな音楽教育の傾向があるなかで、特に私がヴォーカルだったために、精神論・経験論が中心で、まるでアカデミックじゃないんですよ(笑)。
「ブワッーとなって、ブワッーって下がんねん」「ほら、このメロディ歌ったら、そういう気持ちになるやろ。そういうメロディになってるやん」「音楽の論理的な分析と、歌詞や楽曲の持つ世界観は、常に合致するやろ。演奏をやっていたら、そこは自然に合致するはずや。だから論理的な説明は必要ないんや」みたいな(笑)私は何も分からず入ったので「なるほど、そーなんやー」と受け入れてましたけど。ここじゃなかったら辞めてたかもしれないですね。
◼️今後は年2回の生演奏企画を中心に
最初は独りでやってたのでペースも分からず、月1で企画を開いていました。そんなことを続けていたら、数ヶ月くらいで、今一緒にやっている光岡が聞きつけ、一緒に手伝うと言ってくれて。
最初はかなり無理もしていたので、皆んなで話し合い、年2回の大きなイベントを核に構成していくような計画に切り替えることにしたんです。実施しようとしていた矢先に、コロナになってしまい、その計画も止まっていますが。
来年は数打つのではなくて、核にすると決めた2つのイベントをしっかりとこなして、人が集うようになったら、間に小さな企画を開催してゆきたいですね。人気のあった、みのわまさひろくん(ジャズベーシスト。レコード蒐集家)を招いてのレコード会とかね。

また次のイベントでは、出来れば中高生を無料にするだけでなくて、児童養護施設とか、自分でアクセスできない人たちに、無料で配信を届けられたらと思っています。
◼️新たな出会いへの期待
自分自身はものすごく楽しいことだと思って毎回企画しているのですが、あまり伝わってないんだなって思うことは多々あります。イベントに参加しにくいのは、日本人の気質に拠るものかもしれないし、無理矢理来てもらうのは本末転倒になります。結局、情熱をもってやりきること、それをコツコツと続けること。それに尽きる気がしています。
京都は国際的な町であるにもかかわらず、文化的には視野が狭いところがあります。京都には神社仏閣のような古いものだけでなく、現代的な音楽やあらゆる表現に取り組む人たちが多く住んでいるのに、ごく一般的に殆ど知られていません。世界の国際都市のように、広い気持ちで文化も受け入れていけるようになると良いなと思うし、その温度差を埋めてゆきたいと思います。「京都のジャズって面白いで」「サブカルも盛り上がってんで」なんてことが井戸端の話題になっていくと面白いじゃないですか。

企画の準備をしている時は「私、なんでこんなことやってるんやろ。めちゃシンドイやん」と思うことがあります(笑)。でもやることによって得られる、出会いや喜びへの期待が大きいんですよね。興味があったけど一歩を踏み出せなかった、という人が来てくれたり。イベントを頼んだミュージシャンや会場が惜しまず協力してくれたり。そこからどんどん出会いや喜びが拡がっていくんです。
KMCがあることによって、聴衆・演者・場所が繋がって、他では体験できないようなものを作りたい。そんなことを目指しています。
◼️自分のフィールドでない演奏家にも注目を(読者の方々へのメッセージ)
この記事を読んでくださった皆さま。京都にいらっしゃる際には、Kyoto Music Channelに連絡くださったり、発信をチェックしてくださったらありがたいです。また、自分のフィールドでない、同じ楽器を弾いている方にも注目してみるとか、興味持てそうな京都の面白い音楽シーンを探って、アクセスしてみてくださいね。
https://www.kyotomusicchannel.com/

◼️最後に(編集者から)
いやー、どれも魅力的な企画ばかり。素敵な活動されてますね。目指されている世界観も共感できる。京都に移住したくなりました。国際都市・京都だからこその、新しい音楽環境を創ってゆきたいという思い、心から応援いたします。また折見て、京都には足を運んでみたいな。
コトは京都だけの話ではなさそう。演奏家として、自分や自分たちの演奏だけでなく、演奏を支えてくれる場や地域のこと、ありたき未来のこと、たまには考えてみるのも大切ですね。繋がることによって、エコシステムとして地域が成長し、もっともっとジャズや音楽は楽しくなっていくはずだし、生活も豊かになっていくはず。
東條さん、楽しく刺激となるお話、ありがとうございました。本記事で「京都とジャズ」の連載はいったん終了です。またいずれ続編を起こしたいと思います。コロナ禍が落ち着いたら、是非、皆さんも多様な音楽のまち・京都へ足を運んでみてください。
【ご案内】twitterにて記事の新着をお知らせしています。https://twitter.com/jazzguitarnote