ジャンゴの世界

前回、380年前に作られたパリ最古の飴、シュクル・ドルジュの菓子缶を、ピックケースの連載(第14回)として、ご紹介させていただきました。

パリと言えば、マヌーシュジャズのイメージ。生みの親であるジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt、1910-53)が有名です。今回は、フランス菓子缶からの繋がりで、ジャンゴ・ラインハルトとマヌーシュジャズについて、調べてみたいと思います。私自身は、記事にするのも憚られるほど、このジャンルの音源を聴き込めておらず、記事の内容も初心者の域を越えていません。温かい眼差しでお願いします。

■マヌーシュジャズとは(基礎情報)

マヌーシュジャズはジプシージャズとも言われますが、「ジプシー」という呼び方が、差別や偏見のイメージを与えるということで、マヌーシュ・ジャズやマヌーシュ・スウィングと呼ばれているそうです。

そして、マヌーシュジャズは、ジャズの括りに入れることを躊躇するほど、独特の世界観を持っています。

・マカフェリギター(次項参照)と呼ばれる、独特の形をしたギターが使われる。

・ギター2本にコントラバスが基本スタイル。バイオリンが加わることも多い。ドラムは編成によって。ピアノは殆ど見かけない。

・ギターの刻みが、全体のリズムを作る。ンチャ、ウチャ、ンチャ、ウチャの力強さが印象的。

・ギターのアドリブは、一般的なジャズとは趣向が異なる。物悲しい音選び、超絶技巧の速弾きが特徴。

ジャンゴ・ラインハルトの影響を受けているギタリストとしては、クリスチャン・エスクード Christian Escoude (1947-)、ビレリ・ラグレーン Bireli Lagrene (1966-) などが有名でしょうか。超絶技巧派なイメージです。

■マカフェリギター(Maccaferri guitar)

マヌーシュジャズ以外では使われていないこともあり、YouTubeで見ることはあっても、現物をナマで見たことがない。私にとっては幻のギターです。その独特の音色は、マヌーシュジャズの世界観において、重要な役割を果たしています。

ジャンゴが初めて使用したマカフェリギターは、Dの形をしたサウンドホールのモデル。後に楕円形のサウンドホールのモデルを使いました。彼のマカフェリギターはセルマー製(今はサックスメーカーとして有名)で、1932〜1952年の間に1,000本ほど製造されたそうです。ブリッジやブレーシングも独特の設計で、ジャンゴ・ラインハルトは「ピアノのような音」と表現しています。

調べてみたところ、弦やピックも、ギターの構え方も、独特なスタイルがある様子。マカフェリギターを実際に触れる機会があリましたら、記事で取り上げたいと思います。なお、著作権クリアした画像が手に入らずマカフェリギターの写真が載せられなかったので、興味持たれた方はネットで検索してみてください。見た目が独特なので、直ぐに分かります。

■ジャンゴ・ラインハルト (Django Reinhardt、1910-1953)
 ※wikipedia他より収集・要約

・ベルギー出身。ロマ(ジプシー)音楽とスウィング・ジャズを融合させたジプシー・スウィング(マヌーシュ・スウィング)の創始者。

・火傷の影響で、メロディを弾く時は主に人差し指と中指で弦を押さえ、薬指と小指は深く曲げたまま、コードを弾く際に高音弦を押さえるのに用いる程度。映画「永遠のジャンゴ」では、その特徴が再現されている。

・両親はロマの旅芸人。子どもの頃から家族とヨーロッパ各地を旅しながら、ギターやバイオリンの演奏を身につけた。10代前半よりパリのダンスホールで音楽活動を開始。16歳で、歌伴奏で初レコーディング。18歳のときに、半身に大火傷を負い、左手の薬指と小指に障害が残った。その後の練習で、火傷を補う形で独自の奏法を確立した。

・24歳、フランス人バイオリニスト、ステファン・グラッペリらと共に、弦楽器のみのバンド、フランス・ホット・クラブ五重奏団を結成。28歳で初のイギリス公演を行う。

・29歳のとき、第二次世界大戦が始まる。フランスがナチス・ドイツに占領されてからも音楽活動を続け、30歳で「Nuages」をリリース。10万枚以上の大ヒット曲となる。

・36歳で初のアメリカ・ツアー。エリントンとのシカゴ公演の録音が残されている。39歳のときにおこなった、ステファン・グラッペリ等とのローマのクラブでの演奏が、10数年後に「ジャンゴロジー」というアルバムにまとめられた。

・43歳のとき、ブリュッセルでのディジー・ガレスピー公演にゲスト参加。同年、友人の店で倒れ、脳出血で死去。

■映画「永遠のジャンゴ」

折角、ジャンゴに繋がったので、映画「永遠のジャンゴ」を観ました(2018、フランス、1時間57分)。amazon Prime Video https://amzn.to/3TuH12p

amazon Prime Video https://amzn.to/3TuH12p

「1943年、ドイツ軍占領下のフランス。ミュージシャンとして絶頂期のまっただ中にあるジャンゴは、パリの有名なミュージック・ホール、フォリー・ベルジェールを連日満員にし、ナチスに抑圧された市民を熱狂させていた。その絶大な人気に目をつけたナチスは、ジャンゴをプロパガンダに利用しようとドイツでの公演を画策する。愛人ルイーズの助言によって身の危険を感じたジャンゴは、年老いた母親や妊娠中の妻とともにスイスへの逃亡を決意し、レマン湖の畔の町トノン=レ=バンに移り住む。しかしそこでジャンゴが目の当たりにしたのは、自らの同胞たるジプシーがナチスの理不尽な迫害に苦しむ現実だった。激動の時代、ジャンゴに待ち構えている運命とは…?」(amazon作品紹介より転載)

随所に盛り込まれたライブシーンを観るだけでも価値ありです。ギターに寄った映像もふんだんに使われいて、演奏方法や楽器編成など、とても参考になりました。

■最後に(編集者から)

私の周囲には、フランスのジャズを生体験した人がいないこともあり、フランスやパリにおけるジャズの話題が登ることは稀です。日本と同様に、ジャズの本場NYと違った都市で、ジャズがどのように取り込まれて、その国ならではの進化を遂げているのか、とても興味があります。

もしジャンゴ・ラインハルトやマヌーシュジャズにお詳しい方がいらっしゃいましたら、本記事における誤解や誤情報のご指摘、またジャズと他国文化との融合に関するお話、教えていただけると嬉しいです。パリの現場ジャズ体験談なども大歓迎。

最後に、映画「永遠のジャンゴ」について。ジャンゴ・ラインハルトが生きた時代の背景や演奏シーン、また彼の生き様が描かれていて、それを垣間見れるだけでも一見の価値があります。未視聴の方はぜひ。戦争と音楽についても考えさせられる内容でした。現在おこなわれている戦争の地に1日も早く平安が戻ってくることを願わずにはいられません。

【ご案内】X(twitter)にて記事の新着をお知らせしています。https://x.com/jazzguitarnote/

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です