デジタル音源❹ナマ体験との共存

いよいよ4回連載「デジタル音源」の最終回です。最終回となれば、一般的には総括や提言が期待されるところですが、寄り道らしく、コボれたトピックを集めただけの、ゆるい雑記の回とさせてください。

◼️気軽に失敗購入できる

ネットでデジタル音源が購入できる市場が整い、2015年からはサブスク(月額固定で聴き放題)サービスが導入され、私たちは、より多様な音楽を、より手軽に聴けるようになりました。対象は1億曲以上。なんと、高音質音源でも月額料金は変わらず。凄い世界です。

私の若かりし頃は、インターネットも無かったので、音源を入手するのは主にCD屋さん。主たる情報源は、音楽雑誌や店員によるレコメンドカードでした。「今月はCD5枚も買って火の車だ」「コッチはアタリだったけど、コッチはハズレだ」なんて経験を重ねながら、常に新しい音源を探している感じ。

サブスクが始まって、そうした出費を伴う失敗の心配も無くなりました。例えサブスクにせず単品で購入しても、ハードCDを買うことを思えば、コストも微々たるもの。さらにネット市場であれば、ひとつのスタンダード曲を横串で検索し、誰が演奏しているかまで辿ることも可能。購入前に試聴もできます。

いやあ、一昔前から考えると夢のような状況、隔世の感があります。

◼️いまさらながらハードCDも買う

すっかり音源入手がネット頼みになってしまった昨今ですが、いまだにハードCDを購入することがあります。入手先は、ライブ会場での手売り、演奏家のHP、中古CD屋など。ハードCDを購入する理由としては、ネットに繋がっていないオーディオシステムを組んでいるからという個人的な事情もありますが、ファングッズを購入するような気持ちも含まれます。

まだハードCDに未練があるのは私くらいなのかと思いきや、調査をみると、似たような輩が他にもいらっしゃるようです(下図参照)。

(図)社)日本レコード協会「2021音楽メディアユーザー実態調査」より

◼️CD依存の日本の音源市場?

海外の音楽産業が右肩上がりとなっている状況に対して、日本では下げ止まったままです(下図参照)。その国内外差の要因として、海外ではストリーミングの伸長が著しいのに対して「日本はハードCD(パッケージ)依存の業界構造から抜け出せず、ビジネスモデル転換ができていない」と分析する方もいます。一方で、握手券付きCD販売など、日本は独自の進化を遂げていると評価する方もいらっしゃいます。

ハードCDよりは、ストリーミングやダウンロードの方が便利であることは確か。変わるべきところ、残すべきところ、バランス良く進化していけると良いですね。

(出典)「日本レコード協会 80年史」より

◼️音楽家にとってのストリーミングサービス

ストリーミングやダウンロードなどのデジタル音源では、ハードCDで必要なプレスやパッケージの費用、また発売時における広告・店頭プロモーション費などの初期費用が抑えられます。また、ストリーミングサービスは、再生回数に応じて演奏家に利益配分されるので、全世界に市場が拡がって再生数が稼げれば、それだけ演奏家の収入に繋がります。演奏家にとってはチャンスが拡がって良い仕組みのように思えます。

しかし実際は、ブログやYouTubeを開設して直ぐに沢山の人が来てくれる訳でもないように、ストリーミングやダウンロードで商売するのも簡単な話ではありません。特にストリーミングサービスについては、その特異な市場の仕組みに対して、窮状を訴える演奏家の声も度々耳にします。

「売れる音楽」だけが正解ではないと分かっていても、生活すらままならない市場では、良い音楽、良い音楽家が育ってゆかないことは確か。ストリーミングサービスによる市場の解放が、デジタル環境の進化に伴って、抗いようのない流れだとしたら、日本のジャズが衰退しないよう、演奏家が疲弊しないよう、共存できる仕組みを整えていく必要があります。

◼️「生(なま)」で繋がるジャズの特異性

ジャズが面白いのは「セッション」「インプロビゼーション」に象徴される即興性。音楽家と音楽家、また音楽家とリスナーが、その場だけの音楽を、創り、共有するできるところが魅力のひとつです。

また、初めて共演するハードルを下げる目的もあって、ひとつのスタンダード曲が、多様な演奏家の共創によって、異なる作品・異なる体験として生成されています。

こうしたジャズならではの特性が、デジタル音源市場のなかで、どう反映されていくのかも興味津々です。

◼️「所有する」意味の問い直し

ふと、考えてしまいました。私がコツコツと集めてきたレコードやCDの価値は、モノやソフトの所有とは少し違った意味も持っていたはずだなあ、と。

聴取する音源の入手がデジタル市場中心に変わってきて、かつての「所有している」感覚が、とてもとても曖昧になっています。コツコツとCDを集め、好き嫌いの濃淡ありながら聴き込んできた歴史は、私の音楽観を形成している源の一角なのに。

ただ、音源の保有自体は、自分の音楽観のごくごく一部でしかない。生ライブで受けた強烈な記憶、バンド仲間と盛り上がった時間、擦り減るまで聴いた音源の数々。そんな体験の断片が絡み合って、自分の肥しになっています。

もし、こうした「音楽の体験」を蓄積、見える化できたら面白そう。デジタルだからこそ出来る可能性もあって、昨今、注目を集めるブロックチェーン技術(SBTの応用)の進化によっては、妄想ではない現実味を帯びた話になるかも。

音楽業界におけるブロックチェーン技術と言うと、著作権管理や作品投資のような「権利と利益の管理」が専ら先行している感がありますが、個人的には「音楽体験の見える化」への応用のほうが、夢を感じます。所有する音源だけ記録しても仕方ないことだけれども、音楽観やオリジナリティが、その人の音楽体験=系譜によって透かし見えたら、面白そうじゃないですか?

◼️最後に(編集者から)

連載「デジタル音源」の最終回は、「ナマ体験との共存」と題した徒然記とさせて頂きました。

ジャズの面白く重要な部分である生(ナマ)の部分と、デジタルな世界が、今後如何に融合していくか。世界や遠方と繋がれることと、地域や楽器の単位で構成されていくことと、両方の視座も求められそうです。

「デジタル音源」をテーマにした4回の連載は、今回で終了になります。最終回は、実験もインタビューもなく、薄い内容になってしまったかもしれません。寄り道ノートとしては異色なテーマでしたが、お付き合いいただき、ありがとうございました。

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